教員も にんげん♡ リアルライフアドバイザー井上富子の 教員専門ヒーリングブログ

教師というお仕事で、悩み苦しむあなたへ。未来のこどもたちが花を咲かせる土壌を創っているのは先生方です。だからこそ、先生。あなたが、癒されることが先決です♡

自分の世界観で、外側とも屈託なく繋がるこどもたち

今日も

次女は

まだ家にいます。

このまんま

いるかもしれませんし

あとから

行くかもしれません。


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なう、
庭の裏のスペースで

麻のシーツを敷いて

お気に入りのシールを持ち込み

マイワールドを貫いておられます。笑




長女は

ずっと家にいるのですが

元気です。


年ごろで
どんどん可愛くなっています。



長男は
学校へ行っています。

不登校でしたが

いまは、安心して通えるみたいです。

宿題はしません。

しない、と決めて
決めたことに本人が責任を持てるようになったので

本人の中で
そこに善悪がありません。



それぞれが

自分の世界観を持ち

そこベースで

外側と繋がりながら

生きています。




親として

学ぶ機会を

どうでもいいわい。と

完全に放棄しているわけでは

ありません。



ただ

ほんとうに本人が欲したときに

精一杯与えられる余力と情報は

持っていたいな、と、思っています。



毛布が追加されていました。笑
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おねしょ

わたし
小学校に入学してから
おねしょが始まったんです。

中学生になる頃に
自然とおさまりましたが


朝、おねしょしていることを実感する度に

意識では
罪悪感とか恐れとかを感じていました。


でも夜は無意識で

ほんとうに毎日のように

おねしょしていました。



無意識の世界でのわたしは

罪悪感とは真逆の

もらしてもオッケーなわたしでしかなかったんです。

甘えてるという認識すらなく

あたりまえ、だったんです。

もらすことも。

善悪はないのです。

もらすことが善でも悪でもないのです。

もらした。以上!

それと
愛される愛されない、は

全くリンクしていないのです。



こうであるべき、の中だけで
いかに
勝手に恐れているか、なのです。


おねしょしてるわたしの中のわたしからしたら

『???なに言ってるんだい???』

なのです。笑


そして
その
潜在意識が
意識の95パーセントを占めています。


恐れたり
不安になったり
罪悪感を感じているのは

たったの、5パーセント
なのです。

そこに
占められてしまっているんです。



あなたが感じているその恐れは
ほんとうに恐れそのものなのでしょうか?


恐れること、というのは
そもそも存在しないんです。
実は、実体がないのです。


恐れ、という感情は
存在しますが、、♡



今朝は

次女のかわいいオネショで起こされたので

おねしょネタにしてみました♡


本日快晴
洗濯日和~笑



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完敗は、乾杯♪ (〃∇〃)ノ☆

五時間目の

席替え

だけ


目的で


昼前に

学校へ行きました次女ちゃんです。笑


10時の時点での姿
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素直な身体は

魂が生きている肉体。

自分を自分で殺さない。

生命力がみなぎっているので

ものすごくパワフル。



そのパワフルさは

生きながら死んでいる人間にとって

圧倒的なエネルギーなので

強烈で鮮烈な存在感を放ちます。



わたしは

そのエネルギーによって

ゆさぶり起こされた人間の一人です。



わたしが息をふきかえしたのは


いまから、4~5年ほど前になります。



圧倒的なエネルギーを放つ

長女から


往復ビンタをくらわせられるような毎日の中


なんやねんこいつ!
なんやねんこいつ!
なんやねんこいつ!


わたしが、正しいと思うがゆえに封印した
たくさんの感情を

すべて、引っ張り出されました。

そして

完敗。


おもいっきり


ひっくりかえって


これまでのじぶんが


ガラガラと崩壊し


そこから


生きる、ということ

ほんとうを、生きる、ということ

ほんとうのじぶんを、生きる、ということを

教えられました。



そして


完敗は


乾杯♪ (〃∇〃)ノ☆



なっちゃった♡


のでした♡



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スケルトンな時代がやってきています。

しんどかったら
しんどい、って
言っていい


わからないなら
わからない、って
言っていい


できないなら
できない、って
言っていい



怒ってるなら
怒ってる、って
言っていい


ごめん。って
思ったなら
ごめん。って
言っていい


ほしかったら
ほしい、って
言っていい


さびしかったら
さびしい、って
言っていい


いやならいやだ!って
言っていい



うれしい!たのしい!だいすき!も
そのまんま
そのまんま
言っていい



親も
先生も。


正直な思いを
なかったことにして
自分を守るのは
もう
やめませんか?


守るようにみせて
自分を無視しているんです。

気付いてしまうのが怖いから。

たくさん絶望してきているから。

あきめたほうが楽だったから。



かしこくて
やさしくて
ちゃんとしてる
ちゃんとできるひとほど


そのプライドが
鉄壁の鎧となっているんです。


ほんとうの顔は、出せないし

相手のほんとうを見ることも、ないんです。


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これまでの世の中は

それで、やってこれたんです。

それが、正しいとされてもきたんです。



でも

もう

こんなにも気にしない人種があらわれてしまったら

しかも

一人や二人じゃない

たくさんたくさん、あらわれてしまったら


あぁ

もう、時代は

仮面の時代ではなく

ケルトンな時代なんだなぁ、と

認めていくしかないですね。


そしてそれが

新しい魂たちから贈られたギフトであることに

気付かざるを得ないんです。


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感じてはいけない感情など、ない。

とみーさんは
やさしい

こどもに
おこったりしないんですか?


と、よく
聞かれますが、、


いえいえ。
いきなりキレたり
支離滅裂だったりします。笑


だって、だって、

にんげんだもの~L(‘▽‘)/

そして

オンナですもの~L(‘▽‘)/

あったりめーですよL(‘▽‘)/



怒ることはありますが、

怒りの意味合いが
昔とは
まったく、違うものになった。
というのは、ありますね。



こうであるべき、の、なかの怒りは
卑屈で威圧的で、かわいくないのです。


わたしは、こうなんだ~い!の、なかの怒りは
自分の純粋な喜怒哀楽です。



いつも天使みたいなおかんで
居続けようとし過ぎると、偏りが起こります。


自然に
にんげんの
喜怒哀楽のまんまを
見せてあげていい♡



トラウマ?

しらんがな L(‘▽‘)/♡です。笑



こどもを
ひとりの人間として信頼しないことや

こどもの抱く感情や行動を否定することのほうが

よほど
こどもたちにとって迷惑です。


感じてはいけない感情なんか、ないんです。

ただ、ここは
地球だから、日本だから、
最低限、おかしてはならない
ルールは、あるんだよ、ということを

やっちまいながらの日々のなかで
伝えていけたらいいのだと思っています。


たとえば
ケガをさせてしまうような
こわがらせてしまうような
なにか、が起きたとしても

抱いた感情は、絶対に否定しない。
そんなこと思っちゃダメよ!とは言わない。

そこは、受け入れながらも

人を傷つけることは
いけないことなんだよ、と
伝えていけたらいいのだと思うんです。


わたしは
傷つけてやりたいほどに
殺意をいだくほどに
感じた憎悪や悲しみを
否定はしません。

でも
取り返しのつかない行為は
してはならないことを伝えますし

もし
やっちまったとしても

それすらも
成長の過程として
ありがたい学びとして
出会ってくれたお相手に

ただただ感謝することしかできないと
思っています。


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ありがとう、せんせい。ありがとう、がっこう。でも、逃げました(’-’*)♪笑

恨んでなんかいません。

むしろ
ほんとうに、感謝しているのです。


義務教育は限界に来ている
とか
世の中いろいろ意見はあるけど

まぁ、
それなりに限界に来ていることも事実ですけど。笑


決して悪なんかではない。


そこにある善を
ほんとうにありがたいなと思っています。


こうであるべき
こうでなければ認められない
こうでなければ愛されない
こうでなければ存在価値がない

という
そこだけ。

そこを
教師だろうが母親だろうがなんだろうが

ひとりの
にんげんとして
そこを手放していくこと
そこをやわらかくしてあげること
そこを許していくこと

それが
たいせつなことなのです。


以前
長男が不登校になっていたときの担任の先生は

わたしが

この子達が、
楽しいと思えなければ
教育する意味がない。

その、楽しい!は
とてもパーソナルで
自分自身の感覚が感じるものです。

と、お伝えしたとき

はっ、と
されて

そもそも
何故、じぶんが教員を目指したのか、を
日頃のことに追われて
忘れてしまっていました。。。


と、おっしゃいました。


学ぶことが楽しい!と
身体を動かすことが楽しい!と
いうことを教えたかったのに。

と。


ここ、二重構造のワナになっています。



まだまだお若い
体育会系の男性教諭でした。


完全に自分を殺して生きてきたわけではなくても
こうであるべき、に
きっと抑圧されて
楽しい!と思うことすら
本来の自分の感覚ではなく

こうであるべき、の中でしか
楽しさを感じられずに生きてこられたような気がしました。


何が二重構造かといいますと、

ほんとうの、楽しい!を
忘れておられる上に

日頃の職務に追われて
志したことすら
忘れておられる。


本末転倒の、更に転倒。な、わけです。


個人的な癒しのプロセスがなければ

このねじれは

戻せない。。。



ですが当時は
そこまで及びませんでしたので

自分のこと、
自分のこどもたちのこと、を

精一杯やるに留まりました。


そして

逃げようL(‘▽‘)/♪

という、結論でした。笑


だれも
なにも
わるくない。

だからこそ
切ない。

でも
わたしは
わたしのこと、そして
愛する家族のことが
何より先でしたので

ひとまず
逃げました。笑


こうであるべき、や
脱落者
しっぽ巻いて逃げる
失礼をしたまんま

それでも

じぶんたちの感覚を
信頼して。


自然の中へと。

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きょうしつがきらい。せんせいがきらい。

次女ちゃん。

毎度のごとくですが
行きたくない~で

でも?
お友だちとは遊びたいな?
だったのか

送ってくれたら行くというので

今日は学校へ送っていきました。

わたしは
ノーメイクにパジャマです。笑


ですが
校門まで来ると
入らない。

とりあえず体育館の前のスペースまでは来たけど
そこで座り込む。


限界かなー。

とは少し前から思っていましたが

とても自分に正直なので
ボディが動かなくなるんですね。


きょうしつがきらい
せんせいがきらい
こくごもさんすうもきらい
やすみじかんがすくないからきらい

好きな授業のある日は行きますしね。笑


あー
休ませてあげたらよかったかなー。とも
思いつつ

出てきてくれた教職員の方々に甘えて
預けて帰ってきました。

教室はいやだというので
保健室で手を打ってもらいました。笑


わたしのリラックスも
めっちゃ大切なので。笑


先生方との本音の対話は
まだこれからなので
これで終わりではもちろんありません。

がんばりすぎる先生を
責めるつもりはまったくありません。

この
自分に嘘をつかないこどもたちの姿から
学ぶことが山のようにあるだけでなく

過去に遡って
癒しのギフトがこれから待っています。

彼女を鏡としてみていったとき
先生の在り方は
すっかり変わっていることと思います。

なにも変わらないのに
すべてが変わっていくのです♪


だれも
なにも
わるくない

この
時代のハザマに
親としてあること
教師としてあることには

とてつもない
意義があるのです。

理由があって
わたしたちは
わたしたちとして
ここに存在しています。


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